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<再発見!伊豆学講座>持越の石造物調査 舟乗る地蔵信仰、全国へ - 東京新聞

かつての寺の境内と思われる場所に残る岩船地蔵=伊豆市持越で

かつての寺の境内と思われる場所に残る岩船地蔵=伊豆市持越で

 今年七月、伊豆市持越(もちこし)へ石造物の調査に出かけた。現在は高齢者ばかりだが、かつては持越金山で栄えた地域だ。隣郷の金山(かねやま)地区はその名の通り金山があり、湯ケ島金山で栄えた。江戸初期、その作業員たちを弔うために涌金山(ゆうきんざん)福源寺という寺院を持越に建立した。金山の繁栄を伝える名前だが、現在は廃寺になって跡だけが残る。

 かつての境内と思われる場所に、石造物を集合させている。そのなかに長さ一メートルほどの石造物の舟に乗った地蔵が置かれていた。地蔵の前に「巌船(いわぶね)地蔵」と書かれている。地域の人たちは、おもしろい地蔵がある、と教えてくれたが地蔵のことは知らない。地蔵のことをフェイスブックにアップすると早速、「裾野市今里に岩船地蔵がある」との情報を得た。

 裾野市史で、福田アジオ氏がそれに注目して論文を書いている。以下、その論文に多くを依拠する。

 岩船地蔵のもとは現在の栃木県栃木市の高勝寺にあるが、享保四(一七一九)年〜十年の七年間に広まった信仰だ。南関東などにも伝わり享保四年、現在の小山町須走に地蔵が村送りされた。その日から七日めに御殿場市中畑に来て、その後裾野市今里へ村送りされたという。

 その時目の見えない者は見えるように、口のきけない者は話しができるように、手足がなえている者は動くようになったという。地蔵は同市佐野、長泉町本宿へ移っていったという。

 同じ形、大きさの地蔵がどのように伝わったのか。史料がないのが残念だが、金山の採掘に従事する作業員は石工でもあり全国から集まった人たちであったので、造ることはたやすく、信仰の波及もそうした事情によるものと考えられる。ネットによると、三重県尾鷲市にある岩船地蔵は相撲取りが担いできたという。

 伊豆市下修善寺の横瀬地区では今でも子どもたちが集まって地蔵盆を行っている。道路に地口行燈(あんどん)を並べておもしろい。地蔵盆は盂蘭盆会(うらぼんえ)ともいう。

 伊豆の国市大仁の下町地区では子守地蔵の祭りを八月下旬に行う。地蔵堂に宝永六(一七〇九)年造立の大きな地蔵が安置されている。また、同市内小坂には磨崖仏として地蔵が彫られている。同地区では現在でも年配者が念珠を回してお経を唱えて盂蘭盆会を行っている。地蔵の祭りは専門ではないので、筆者の知る限りではこの程度であるが、まだ多くの行事が行われているに違いない。

 戻って、福源寺跡には六地蔵もある。「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人間」「天」の六道を行脚される地蔵菩薩(ぼさつ)の姿をそれぞれ六体に分身したものとされる。

 持越では岩船地蔵を安置し、かつてはその御利益にあずかるために盛大な祭りを行ったに違いない。しかし、住民が減り、文化の伝え手がいなくなり、言い伝えも残らなくなってしまった。残念だが、これからこのような地域がたくさんできてきてしまうことになろう。(橋本敬之・伊豆学研究会理事長)

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